2013年2月14日木曜日

その10「祈る群れ」 使徒の働き12章

前回は「賛美する群れ」と題して、このように学びました。「賛美は『霊的な戦い』でもあります。ヨシャパテ王は、戦いの際、なんと武装した兵隊の前に、聖歌隊を配置しました。そして聖歌隊が高らかに賛美しはじめた瞬間、主は不思議な方法で、勝利を与えて下さったのです!今でも、多くの教会ではメッセージの直前に聖歌隊が歌います。それは賛美がささげられる時、サタンは逃げ去り、聖霊が豊かに働くからです」。そもそも賛美は、メロディーのついた祈りでもあります。賛美と祈りは切っても切り離せません。今日は「祈り」について学びたいと思います。 

「教会ってどんなところ」と聞かれれば「祈りの家です」と答えることができます。イエス様は宮(礼拝のささげられる場所)のことを「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」(マタイ21:13)とおっしゃられました。でもどうでしょう。私たちの教会は「祈りの家」となっているでしょうか?ここ数年私たちの教会の、聖研祈祷会出席者は減っています。これは私たちの教会に限ったことではなく、日本中、いや世界中の先進国にある教会に共通する傾向でもあります。生活スタイルが変わり、週の半ばに、教会に来にくくなった、という事情もあるのでしょう。でもそうなら、私たちは「集まって祈る機会」をどこかで補っているでしょうか?一人で祈ることも大切です。イエス様はいつも寂しいところで祈っておられました(マルコ1:35)。でも聖書には「集まって祈ることの大切さ」も強調されています。あのペンテコステの直前にも、弟子たちは一つところに集まって祈っていました(使徒1:14,2:1)。またイエス様もこう教えています。「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです(マタイ18:19-20)。集まって祈る時、その力は「かけ算的」に増すのです! 

初代教会は、とにかく集まってよく祈りました。福音がすさまじい勢いで広がるなか、何とかそれを留めようとする勢いも増しました。ヘロデ王は、弟子の中でも中心的な役割を果たすヤコブに目をつけ、彼を剣で殺しました(使徒12章)。これは当時、殺人犯と背教者だけに下される屈辱的な刑でした。でも、その刑を、ユダヤ人たちは喜んだのです。そこでヘロデ王は、もっと民に気に入られようと、次は、事実上の教会の最高指導者ペテロをとらえて、殺害しようと考えたのです。もはや絶体絶命です。その時教会は何をしたでしょうか。なんと祈り始めたのです!聖書にはこうあります。「教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた(5)」。この「熱心に」とは、ギリシャ語で「エクテノース」といい、他にも「熱く燃え上がる、熱烈に、終わることなく」などの意味があります。それほど教会は熱心に祈り続けたのです。その結果何が起きたでしょう。ペテロは二本の鎖につながれて、兵士の間に寝かされ、戸口には番兵が監視していたのに、御使いの「急いで立ち上がりなさい」との呼び掛けにこたえて立ち上がると、鎖は解け落ち、その後もまるで幻の中を歩いて行くかのようにして、牢の外に救いだされたのです。その瞬間、御使いたちは見えなくなりました。ペテロは我に返り、まっさきに皆が祈っている場所に急ぎました。 

賛美が霊的戦いの「最前線」なら、祈りは「最強の後方支援」です。ペテロが祈り会の場所に到達し、戸を激しくたたくと、ロダという女中が応対しました。そしてペテロの声だと分かると、戸をあけもせず、奥に入って行き、他の弟子たちに「ペテロが戸の外に立っている」と伝えました。その時の反応は意外なものでした。ある者は「あなたは気が狂っているのだ」と言い、ある者は「それは彼の御使いだ」と言ったのです。一体彼らは何を信じていたのでしょう?ここから二つのことを教えられます。一つは、信じて祈ることの大切さです。ペテロが救われたから、ほほえましいエピソードですが、やはり彼らの不信仰は反面教師です。イエス様はこう教えられました。「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます(マタイ21:22)」。もう一つ教えられるのは、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、不完全な祈りさえも聞いてくださるイエス様の憐みです。私たちは、この憐れみがあるから、失望せず、なおも大胆に祈り続けることができるのです。奇跡を行う力は、私たちの祈りそのものではなく、主ご自身の内にあるのです。 

教会で、集まって、祈ることを大切に。世間話なら他でもできます。でも互いに祈り合うことは、クリスチャン同士にしかできません。どんな小さな祈りの輪にも主がともにいて下さいます。 



もし、あなたがたのうちふたりが、
どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、 
天におられるわたしの父は、
それをかなえてくださいます。
(マタイ18章19節)

だからあなたがたに言うのです。
祈って求めるものは何でも、
すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。
(マルコ11:24