2013年1月24日木曜日

その7「同労者」 使徒18章

前回は「牧師の働き」について学びました。私たちの、健全な教会生活と信仰の成長のためには、正しい牧師理解が必要不可欠です。牧師の働きにおいて特に大切なのは「みことばの説き明かし」です。そのことについてこう学びました。「ところで私たちは主日ごとの『みことばの説き明かし』をどのように聞いているでしょうか?『○○先生のお話し』という具合に『単なる先生の言葉』とか『個人的な見解』として聞いていないでしょうか?また『今日はおもしろかった』『今日の先生の服は?』と、色々なことに気を取られて聞いていないでしょうか?確かに牧師は人間です。神ではありません。しかし説教は『人の言葉』ではなく『神の言葉』として聞かないと、教会のためにもならないし、自分の信仰の成長のためにもなりません」。その他にも、聖徒たちを整えて奉仕(ミニストリー)に用いる働きについても学びました。今日は「信徒の働き」についてです。

牧師と信徒のあるべき関係とは何でしょうか?以前「万人祭司」について、こう学びました。「カトリック教会では、教皇がトップで、その下に司教や司祭がおかれ、信者は彼らの存在を通してでなければ正式には『罪の赦し』を受けられません。しかしプロテスタント教会では、誰でも、信仰によって、大胆に神様の前に出ることができ、罪の赦しを受けることができると教えています」。ただし「万人祭司」は「万人牧師」ではなく、「働きの違い」や「教会の秩序」は大切にしなければいけません。聖書には「みことばを解き明かす長老(監督)を尊敬するように」と教えられています。それは尊敬がなければ、解き明かされるみことばを「神の言葉」として聞くことができないからです(Ⅰテモテ5:17)。でも上下関係ではありません。昔、牧師に対して「平信徒」という表現が使われました。でもその理解は間違っています。牧師と信徒はあくまで同労者です。 

パウロの働きを助けた、アクラとプリスキラという夫婦がいました(使徒18章)。細かい理由はさておき、彼らは他のユダヤ人とともにローマを追放され、コリントに移り住んでいました。そこでパウロと出会います。回心については書かれていないので、おそらくローマで福音を聞き(もしくはエルサレムのペンテコステを体験し)クリスチャンになっていたのでしょう。彼らは天幕職人という「同業者」だったので、一緒に住んで働き始めました。それと同時に彼らはパウロの伝道を支える「同労者」となったのです。ここに本当に麗しい教役者と信徒との関係を見ます。それは「同労者」すなわち同じ目的を持ちながら、互いに支え合う、パートナーとしての姿です。 

彼らは信仰理解においても、教役者に引けを取りませんでした。先ほど話した「平信徒」は英語で「laymanレイマン」と言いますが「専門家ではない素人」という意味もあります。でもプリスキラとアクラは決して素人などではありませんでした。彼らは「雄弁なアポロが、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった(25)」ことに気付きました。すなわち聖霊理解が不十分であったのです。その時、彼らはどうしたでしょうか。「プリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した(26)」。私はここに感動します。公衆の面前でアポロを非難することなく、陰口を言って駆けだしの献身者をつぶしてしまうことなく、家に招いてそっと諭(さと)したのです。彼らは博学なアポロを納得させるに十分な知識と説得力を持っていました。しかしそれだけでなく、彼らは、教会と働き人への溢れる愛があったのです。(聞き入れたアポロも立派でした)。このように彼らは地道にパウロの働きを支え、彼がいなくなった後も、教会で重要な役割を果たし続けました。今も昔も、教会はこのように、献身的な信徒たちによって支えられているのです。 

後にパウロは手紙でこう書いています。「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです」(ロマ16:3-4)。彼らは最後まで、命がけで、パウロの宣教を支えました。更にこうともあります。「アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています」(Ⅰコリ16:19)。彼らはパウロを支えるだけでなく、自分たちの家を開放し「家の教会」のリーダーとなり、積極的に福音を宣べ伝えました。 

牧師と信徒との関係は、決して上下関係でも、従属関係でもありません。どちらかが倒れる時には、どちらかが支え、ともに手を取り合って福音を宣べ伝える「主にある同労者」なのです。 



「キリスト・イエスにあって
 私の同労者である
 プリスカとアクラによろしく伝えてください。
 この人たちは、
 自分のいのちの危険を冒して
 私のいのちを守ってくれたのです」
(ローマ16:3-4a)