ルターの紋章をご存知でしょうか?古いドイツの教会、特に旧東ドイツの教会に行くと、あるシンボルマークを見つけることがあります。金色の輪の中が青色で塗られていて、その中に白いバラが描かれている。その白いバラの中央には赤いハートが描かれていて、そのハートの中には真っ黒い十字架が描かれている。これを「ルターの紋章」といいます。ルターは自分の信仰と教会観を現すために、このような紋章(シンボルマーク)を考え出し、書物のタイトルページや、住まいなどにあしらえました。金色の輪は「永遠」を表しています。ある意味この世の中は闇に包まれています。「ハデスの門」とは「死の力」のことです。この死の力はすさまじく、私たち人間の力ではとうてい抑えることができません。この門は、今にも開いてしまいそうなのです。しかしキリストとキリストのからだである教会には、この門をふさぐ力があります。言ってみれば、教会は、この暗闇の力を封じ込める、霊的な砦(とりで)としてこの世に存在しているのです。だからルターは「紋章」を金色の輪で囲みました。たとえ現実の世界は、死の力に取り囲まれていても、キリストが打ち建てられた教会とそこに属する一人一人は、その暗闇の力に負けることがなく、圧倒的な勝利者として(ローマ8:37)、希望と喜びに満ち溢れ、この地に存在しているのです!
でもなぜ、その中央には「黒い十字架」が描かれているのでしょうか?ふつう十字架は何色に塗られますか?赤色でしょうか?金色や銀色でしょうか?でもルターはあえて黒色に塗りました。それは、私たちの罪をすべて背負い、十字架にかかられた、イエス様の「死と痛み」を現すためです。その苦しみのゆえに、私たちには、いのちと平安が与えられました。十字架の周りには、赤いハートがありますが、これは十字架の愛によって癒された私たちの心です。救われる前は、生きる目的も分からず、我欲に従い、的外れな人生を歩んでいました。その時の私たちのハートは、罪に汚れ、鼻で息はしていても、死んでいるも同然の、黒いハートだったかもしれません。でもイエス様は、そんな私たちに近づき、手を引いて起こし、神と隣人を愛する新しい人生に入れてくださいました。自分から出たことではありません。ただ一方的な恵みと犠牲によって、私たちは癒されたのです。いま私たちのハートは、イエス様の愛が脈打つ、真っ赤なハートなのです。
その真っ赤なハートは、真っ白いバラのじゅうたんに抱かれています。1530年に書かれたルターの手紙にはこうあります。「十字架は、自然の色をしたハートの中に黒で描かれる。そのハートは、霊と天使の色である白色の晴れやかなバラの上に置かれる」。イエス様が洗礼を受けられたとき、天が開けて、真っ青な空から白い鳩が下ってきました(ヨハネ1:32)。白い鳩は聖霊の象徴です。カトリック教会に追われ、逃亡の身となったルターは、本当に苦しい毎日を過ごしていたことでしょう。でも彼は、ある日のこと、カトリックの弁論家のエックとの討論の場に、一輪の白いバラを持って現れました。それは「御手の中にある平安と慰め」を意味していました。御霊の実は「愛、喜び、平安(ガラテヤ5:22)」です。この世にあって試練はなくなりません。でもどんな試練の中でも、心の王座にイエス様の十字架があるなら、キリストの平安が私たちを覆うのです。
あなたのハートの中心に今日何があるでしょうか?教会の交わりの土台には、何が据えられているでしょうか?キリストの十字架が、私たちの人生に、確かな土台を与えてくれるのです。
(キリストは)自分から十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、
それは、私たちが罪を離れ、
義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、
キリストの打ち傷のゆえに、
あなたがたは、いやされたのです。
Ⅰペテロ2章24節